「英語の発音を学ぶことは必要か否か」これはよく意見が別れるトピックです。日本の英語教育では今まで発音は全く重要視されなかったので、現状英語を教える教員ですら英語がちゃんと発音出来ません。そして日本の英語教育では通常の学生にとって試験や入試のために行われるものでしか無いので、教師としても発音を教える必要性は今のところ無いわけです。なので、「英語が話せるようになりたくない人は発音を学ぶ必要が無い」ということになります。
僕自信の意見としては、せっかく義務教育で英語を学んでいるのに何も話せるようになれないのは勿体ないと思うわけです。今、これだけ外国人観光客が増えて一般の日本人でも英語に触れる機会は少しは増えました。そんな時に挨拶一つ通じないというのは寂しい話です。
英語は通じなければ話せないも同じ
一方で「英語は話せるようになりたいけど発音はあえて学ぶ必要は無い」と考える人もいます。それよりも少しでも表現や単語を覚えたほうが良いと。
しかしそれはどうでしょうか?発音を意識したことがない日本人が発音する英語はデタラメですよ。coffeeを「コーヒー」としてインプットされているような英語です。これを英語の綴りで書くと”kohee”です。”coffee”と”kohee”、書いても全然違います。英語で論文が読める人でも、カフェでコーヒーを注文することもままならないわけです。これは大げさでもなんでもありません。これが日本人が話す英語の現状です。
「カタカナ英語でも通じればOK!」と良く聞きますが、それでスムーズにコミュニケーションが成り立っているケースは、日本にいる外国人で、よほど耳がカタカナ発音に対して慣れている場合だけでしょう。初対面ではまず通じない場合が殆どだと思います。
英語の発音の綺麗さは教養の高さ
英語の発音の綺麗さは教養の高さとも見られます。日本人は欧米人に対してかなり寛容な人が多いのでこれは例外として、例えば中国やベトナムなど他のアジア出身者で日本語の発音が綺麗な人と、デタラメな発音の人とを比べると、どちらと付き合いやすいですか?発音が綺麗なだけで安心感がありませんか?
それと同じように、いくら英語をよく知っていたとしても初対面で発音がデタラメだとあまりいい印象はないでしょう。嫌われたりは別にしないとは思いますが、ただ教養があるようには聞こえません。日本語でもそうですが話し方には教養が出ます。分かる人には分かります。なのでそういう舞台で生きるためには発音を含む、ある程度の教養が必要です。
例に上げるとすればオードリー・ヘップバーンのマイフェアレディーという映画がそうですね。教養のためにまずは発音を直します。ストーリーについてはこちら >> それくらい大切な事です。
お願い!「発音」の優先順位を上げて!
これだけは言えることがあります。発音が上達するとネイティブが話す英語が聞きやすくなり、また英語が上達するスピードが格段に上がります。そして勿論のことコミュニケーションがスムーズになります。発音がおぼつかないまま伸びた英語は、無理やり力技で押し上げた英語力です。そういう英語は大体を持って表現に乏しく柔軟性がありません。なので習得に余計に時間がかかりますし、コミュニケーションもスマートには成り立ちません。
だから出来るだけ発音の優先順位を上げて欲しいわけです。